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ウラジオストク情報

目次
基本情報
地名の由来
気候
観光・渡航情報
ウラジオストク自由港制度
日本とウラジオストク

ウラジオストク基本情報

  • 面積:約331㎢
    ※参考、ロシア連邦約1710万㎢
  • 人口:約63万人(2015年)
    ※参考、ロシア連邦約1億4,600万人(2016年)
  • 時差:日本時間+1時間(モスクワとは7時間の時差)
  • 飛行時間:直行便で2時間半

地名の由来

ウラジオストクという名前の由来は”東方を支配せよ”だと言われます。ロシア語だとвладеть(征服せよ)восток(東方を)になります。日本語では”ウラジオストク”や”ウラジオストック”と表記されます。

このほか漢字では”浦塩斯徳”あるいは”浦潮斯徳”と当て字されます。弊社運営の関連サイトとしてウラジオストク観光ガイドを専門とする”浦潮マップ”があります。このサイト名は浦潮斯徳からとりました。

また、もともと清国の領土だったウラジオストクの土地を中国は海参崴(ハイシェンウェイ)と呼んでいます。ナマコを意味する名称のとおり、ウラジオストクの特産品はナマコです。

”東方を征服せよ”という名称が実行されたのは1858年からでした。中国がナマコの産地と呼ぶ理由というのも、もともとは清の領土だったからです。1860年に、正式なロシアのウラジオストクとして創設されるに至ります。世界最大の国土を誇るロシアが西方から東方へ政府の統治下を進めていく過程を象徴した名称となっているのです。

気候

ウラジオストクの気候はロシアというだけあり、日本に比べると気温の低い時期が多くなります。降水量は夏頃に多くなります。7月は日照時間も少ないので夏とはいえどんよりとした気持ちになるかもしれません。8月になると日照時間も増えるので海水浴を楽しむロシア人や観光客で賑わいます。7月と8月のどちらでウラジオストクを観光しようか迷われている場合は、8月の方が充実した旅行となるでしょう。

ウラジオストク気候(気温)

ウラジオストクの気候2(降雨量、降雪量)

(更新日:2017年2月24日)

 

ウラジオストク観光・渡航情報

渡航方法としては航空便のほかにフェリーが利用できます。

●航空便

S7航空
発着地 成田—ウラジオストク間 関空—ウラジオストク間
発着日 火・木・土・日 水・金
オーロラ航空
発着地 成田—ウラジオストク間  
発着日 月・水・金

航空便はS7航空による成田-ウラジオストク間の直行便が週3日の定期便で運航
2017年4月28日より、S7航空による関空—ウラジオストク間の直行便が週2日の定期便で運航
2017年3月20日より、オーロラ航空による東京(成田)-ウラジオストク間の直行便が就航し、26日からは週3日の定期便で運航
以上により、ウラジオストクへの旅行が全曜日で可能になっています。

(更新日:2017-03-07)

●フェリー

DBSフェリー
2016年冬季運航スケジュール(2016年11月6日(日)~2017年2月22日(水))
曜日 入港 出港
14:00
ウラジオストク
 
  17:00
ウラジオストク
14:00
東海
 
  18:00
東海
9:00
境港
 
  19:00
境港
9:30
東海
14:00
東海

DBSフェリーが鳥取県境港市より韓国の東海を経由してウラジオストクまで運航
詳しくはDBSクルーズフェリーHPもしくは鳥取県HPを参照のこと。

(更新日:2016年11月19日)

 

ウラジオストク自由港制度

ウラジオストク自由港構想が2014年末のプーチン大統領による演説で発表されました。そしてウラジオストク自由港制度は2015年後半に法整備されました。

ウラジオストク自由港制度の内容によると、対象地域はウラジオストク市に限ったものではなく、沿海地方南部を中心とした地帯を対象としています。優遇措置で重要なのは関税なしで輸入が可能な点で、まさに「自由港」の名を象徴する制度となっています。ウラジオストク自由港内に輸入した物品をロシア国内(同制度対象「居住者」を除く)に売却する場合には関税相当が徴収されるので、輸出振興を目的としたものだということが一層理解できます。輸入代替政策によってロシアのエネルギー資源以外の輸出で外貨を稼ぐ力をつけることを目的としているのです。

関税なしの輸入に加えて、各種税率や社会保険料率が大幅に下げられます。ウラジオストク自由港制度における以上のような恩恵を受けるには、現地新規法人設立や最低投資額などの条件があります。とはいえ外国企業にも開かれた制度となっています。

ウラジオストクが輸入代替政策の結果、輸出拠点として目覚め、経済・産業が活性化すれば雇用が生まれます。賃金の上昇と就労はロシア人の所得向上につながり、ウラジオストクに様々な消費市場を誕生させることでしょう。ウラジオストクの将来を楽観的に捉える上で十分に魅力的な制度といえます。

(更新日:2016年11月19日)

 

日本とウラジオストク

ウラジオストクと日本の関係は1860年のウラジオストク建設より始まります。当時は電信網が世界に張り巡らせれている最中であり、1871年にはウラジオストクと長崎の間に電信線が引かれました。人の交流としてのウラジオストクへの移民は1860年代より徐々に増加しました(日露戦争期を除く)。

ウラジオストクへの日本人移民の流れは1920年ごろの約6000人をピークに減少に転じました。当時はすでにロシア革命を経たあとで、ロシアが共産主義革命としてソ連を形成する時期と重なっています。とはいえウラジオストクにはソ連政府の統治が完全には及んでいませんでした。20世紀初頭の交通事情から考えても、あまりに距離が遠かったのでしょう。

反対に日本は地理的な近さがあって、アメリカやイギリスとともにソ連に干渉戦争を仕掛けます。日本は列強参加国で最大の人数を送り込みました。これがシベリア出兵であり、シベリア出兵が終了することで日本人の帰国が増えたのです。

シベリア出兵中はウラジオストクに多くの日本人が向かい、日本軍人に対して商売を行ったりしました。シベリアから撤退するにいたり、ウラジオストクに住む日本人の数は急激に減少へ向かいました。各国が第二次世界大戦に巻き込まれていく過程で、ウラジオストクの日本総領事館が閉鎖し現地日本人も去っていきました。

第二次世界大戦後まもなく勃発した朝鮮戦争で朝鮮半島はひどく破壊されました。ウラジオストクの目と鼻の先では恐ろしいまでの激戦が栗理路げられていたのです。そんなウラジオストクも朝鮮戦争後の1952年から閉鎖都市となりました。ロシア人自身も自由にウラジオストクへ入ることができませんでした。

ウラジオストクが一般に開放されるようには、ソ連が崩壊する40年後を待たなければなりませんでした。ウラジオストクが開放され15年が経過した現在、ウラジオストクはロシアの政治状況に紆余曲折しながらも、過去と同様にヨーロッパへのアジアの玄関口として機能しています。

日本人の総人口が現在よりはるかに少なかった当時と比べても、現在の日本人数はわずか126人(図参照)です。これはピーク時の50分の1程度です。日本人観光客も少ないのが現状です。他方、すでに中国や韓国からは多くの観光客が訪れてウラジオストク旅行を満喫しています。近年のロシアの景気は決して良いとは言えませんが、だからこそルーブルが大幅安であることと相まってウラジオストクの潜在力は高いと考えられます。

ウラジオストク観光の際には、日本との歴史的つながりを感じる”日本人抑留者の墓地”や女性詩人である”与謝野晶子の記念牌”を見ることもできます。またウラジオストクへの日本人移民のため(信仰のため)西本願寺がウラジオストクに開かれていました。ここに”浦潮本願寺碑”が当時の記念として置かれています。

ウラジオストク在留邦人数

(更新日:2016年11月19日)

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